掃除・片付けが苦手になる心理を考えてみる
元旦は急に夫の兄弟が我が家でお昼と夕飯を食べに来ることになりました。
年末に掃除しといて本当に良かったです、、
うちは来客はめったにないので、急に誰か来るとなったらがぜん焦りまくります。
食器・湯呑みなどが足りない、お茶がない(普段、夫はコーヒー、私はノンカフェインの飲みものなので、お茶を常備してない)、とかの理由もありますが、焦る根本の理由は見栄っぱりだからですね。
そよ様にはいつもの自分より10倍位は良く見せたい。10倍は無理でも前もってわかっていたら準備できます。
たまに、散らかっていても何も気にせず招きいれる人っていますが、そういう人は見栄感情がほとんどなくて達観の域に達してるんだろうか?と思いをめぐらせてしまいます。
ゴメンね散らかってて、、とか言う人はこっちも突然お邪魔してスミマセンという気持ちになりますが、まーったく意に介してないような人はなんだか不思議です。
私は達観はできてませんし、見栄っぱり欲を満たすための試みはいつも成功するとは言えませんが、こういう風に見せたい自分=こうなりたい自分へのモチベーションのキッカケはなるので、見栄っぱり感情も捨てたものではないかなと思ってます。
まあそれにしても、掃除しきれてない・片付けきれてない部屋は夫も見てるし、何より自分自身が見てるので、やっぱり快適空間を作って維持したいですねー。
2015年の抱負にしておきましょうか。
掃除は、大きく分けて「汚れを落とす」系と「モノをすっきり見せる」系があります。
汚れを落とす系の掃除機をかける・ホコリを落とす・ふき掃除などは、肉体労働系で、やった後の成果も見えやすくて達成感があって、比較的簡単に取り組めます。
難しいのはモノをすっきり見せる系の片付け・整理整頓・収納の知的労働系ではないでしょうか。
何をどこにしまうか?
普段の動線からどのような収納が最適か?
しまったモノを忘れないようにするにはどうしたらいいのか?
そもそもこれはいるモノなのか?いらないモノか?
判断する内容が多過ぎます。
だからといって、判断保留で先のばしにしておくと、ズブズブと散らかり部屋へ••
行動心理学に「損失回避性」という言葉があって、「利益から得られる満足より同額の損失から得られる苦痛の方が大きい」という心理があるそうです。
そういう意味では、捨てて後悔することを恐れて汚部屋になることのほうが、行動パターンとしてはありがちで、実質的な損失は大きいのかもしれません。
また、おもしろい記事を読みました。
「なぜ部屋が散らかったままになってしまうのかと言いますと、一言で言えば寂しいからです。たとえゴミであっても自分のそばに居てもらいたいのです。」
「ここで重要な意味を持っているのは、「邪魔になる」ということなのです。自分の行く手に何もないよりは、邪魔してくれる「存在」があるということに意味があるのです。つまり、自分は一人ではないのです。」
来客があると片付ける気になるのは、孤独感が減って、ガラクタという友達がいなくても平気になるという面もあるのかもしれませんね。目からウロコでおもしろいなあ〜と思いました。
掃除や片付けがはかどらない理由に、そういう心の壁がないかな?と考えるのもいいかもしれません。